本町田って

本町田は、東京都町田市の地名。郵便番号は194-0032。人口は26,979人(住民基本台帳2009年12月末現在)
町田市中部に位置する面積の広い町域で、大規模な集合住宅も集中するため市内で最も人口が多い。多摩丘陵の南西縁に接し、近隣の中町・原町田などが多摩丘陵相模原台地の境界部となる。江戸時代以前の町田とはこの地域を指し、町田村の中心地であった。東は玉川学園・金井町、西は山崎町・木曽東、南は旭町・中町・南大谷、北は山崎町と接している。公社町田木曽住宅や公団藤の台団地、公社本町田住宅をはじめとした集合住宅や団地が多く、全域にわたって住宅地が広がる。恩田川(町田川とも呼ばれた)の源流域(わさび沢川・今井川)で地内の各所に湧水地が点在するほか、北東部の藤の台団地・丸山・今井周辺は、薬師池公園や七国山、玉川学園などと接するなど、所々に里山や山林も残っているため、分村後に市街地化した原町田に比べて自然が目立つ。南北方向に鎌倉街道が縦貫しており、経由地となる井出の沢(菅原神社)にて北条時行足利直義が争ったとされる。縄文時代から集落があったことがわかっているが、集落は散在する程度と考えられている。鎌倉時代頃より鎌倉街道の要所として宿場街となり、次第に栄えていった。
1582年(天正10年)農地拡大のため近隣の原野を開拓、町田村から原町田村を分村した際、町田村が本町田村と称したことから。
1335年-井出の沢の合戦、北条時行軍が足利直義軍を破る。
1582年-農地拡大のため近隣の原野を開拓、町田村から原町田村を分村。その後本町田村と改称する。
1630年-向村付近に菅原神社建立。
1868年-武蔵知県事に属す。
1871年-廃藩置県により東京府多摩郡町田村となるものの、神奈川県知事・陸奥宗光の上申により神奈川県に移管され、神奈川県多摩郡町田村となる。
1873年-区番組制により8区2番となる。
1878年7月22日-郡区町村編制法により、南多摩郡に属する。
1884年-連合戸長役場制により原町田村・本町田村・森野村・南大谷村・金井村が5か村連合となる。連合戸長役場は原町田村に置かれる。
1889年4月1日-原町田村・本町田村・森野村・南大谷村が合併し、町田村となる。旧本町田村の村域は大字本町田となる。
1913年4月1日-町田村が町制施行し、町田町となる。
1893年4月1日-南多摩郡を含む多摩全域が神奈川県から再び東京府に移管される。
1927年4月1日-小田原急行鉄道が開通するが、本町田に駅は設置されていない。
1929年4月1日-小田急線に玉川学園前駅が開業する。
1958年2月1日-町田町忠生村鶴川村堺村対等合併し、市制施行し町田市となる。
1966年-住宅公団によって本町田地域の大規模団地開発(現在の藤の台団地)が発表される。そのため遺跡発掘調査に着手(1967年〜1968年まで)発掘された遺跡は本町田遺跡群(A〜M地点)と呼ばれ、本町田遺跡公園と整備される。
1965年7月1日-本町田、原町田、南大谷のそれぞれ一部で住居表示を実施、中町一〜四丁目を新設。
1966年7月1日-本町田、原町田、木曽町のそれぞれ一部で住居表示を実施、旭町一〜三丁目を新設。
1967年7月1日-本町田、南大谷、成瀬、金井町のそれぞれ一部で住居表示を実施、玉川学園一〜八丁目を新設。
1970年-公団藤の台団地・公社町田木曽住宅の入居が順次始まる。
1973年11月3日-町田市郷土資料館(現町田市立博物館)開館。
2007年12月1日本町田、木曽町、根岸町、山崎町のそれぞれ一部で住居表示を実施、木曽東一〜四丁目を新設。
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一部地区で住居表示が実施され、南部の一部が旭町一〜三丁目、中町二丁目から四丁目に、北東部の一部が玉川学園などに編入されており、現在の本町田の町域とかつての町域は一致しない。
現在の本町田では小字が廃止されているが、かつてはいくつかの小字が存在していた。現在でも地区名や自治会の名称として使用されることがある。昭和以降の宅地開発が行われるまで、市街地や住居は鎌倉街道に沿った宿・一色・後田・今井地区に集中していた。
以下は本町田の南部より記載する。
上ノ原
現在町田郵便局や都営中町四丁目アパート、東京都立町田高等学校が存在する地域である。かつては本町田だったが、住居表示の実施に伴い中町および旭町へと変更された。

向村
菅原神社が置かれている。かつては湧水地があったことから、付近は井出の沢(井手の沢)と称されることもあった。

現在の菅原神社交差点付近。
宿
町田村中心地で、鎌倉街道の宿場として栄えた。近年までかつての雰囲気を残す街並みがあったが、鶴川街道の拡幅や宅地化に伴い姿を変えつつある。

現在の日向台住宅南部・日向台交差点・養運寺付近。
一色
町田宿の北端付近から町田川(現在の恩田川源流端の一部で今井川)沿いに広がる地域。鎌倉街道は一色付近から向村の南までの間、町田宿を経由するルートと経由せずに菅原神社の裏側を抜けるルートが存在しており、町田宿からは更に成瀬方面を経由するルートに分かれていた。

現在の木曽団地東交差点(ひなた村停留所)・本町田停留所周辺の広い範囲。
後田
一色の東側にあたる地区で、現在のひなた村から本町田東小学校付近までの範囲。古来からの小字に良くあることだが、他の小字(一色・宿)との境界は曖昧である。


上記の一色の西側に広がる地域。一色の西部から原には桑畑や田畑が広がっていた。この旧字名は町田市立原小学校(現在は本町田小学校)やバス停留所名(原田向)などの名称にも使用されている。

現在の町田市立本町田小学校付近。
滝ノ沢
本町田の西端で、恩田川源流端の一部となるわさび沢川(滝ノ沢)の水源地である。

現在の町田市立町田第三中学校付近。
今井(今井谷戸
町田川の源流付近であり、深い谷戸沿いに広がる地区。鎌倉街道は上記の向村及び宿より一色・後田を経由し、今井から七国山方面・薬師池方面へと抜けていた。

現在の今井谷戸交差点付近。
丸山
今井の東部付近で、山林や桑畑が広がっていた地区。近年の大規模集合住宅や宅地開発によって姿を大きく変えているが、現在でも僅かながら当時の山林や農地が残る。

現在の藤の台団地、本町田丸山緑地(町田えびね苑)付近。
他に合ノ原、芝生などが存在した。